濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】きみはポラリス/三浦しをん

恋愛小説は、何か嫌だなと思っている。誰と誰が付き合っているとか、別れたとか、ほかの人の恋愛話なんて、その程度のものでいいのではないか。「私はこれだけ思っているのに、あの人は…」なんて聞かされた日には、オ、オェー…ゲロゲロゲロ、ゲロゲロゲロ…。結局、恋愛小説となると、この手の思いがある。詰まるところ、これがメインなんです、という小説が嫌だなと思っている。しかも、それが美しいなんてことはあり得ない。相手を好きだというのは、当事者同士の話であって、それを外から見てあれこれ言うのは違うんじゃないかなぁ。どれだけ恥ずかしいことも、二人なら許される。どれだけイタいことも、二人なら許される。文章で二人を描くと、その客観性が高まってしまう。主体的であるからこそ、恋愛の悩み、その歯痒さ・もどかしさは心を揺さぶるハズ…。どれだけ入り込めるか。それが大切なのである。どれだけその相手に没頭できるか。それこそが恋愛であり、そこが楽しいのである。「苦しくて死ぬんじゃないか」。それは…単なる盲目だと思うけど。

この「きみはポラリス」は、ゲイの恋愛から始まり、母親が息子のアレを咥える話…十一の変わった恋愛小説集。まぁ、悪いことはないと思う。強くオススメはしない。ふつうです。皮肉です。設定は変わっているのに、「恋愛」の側面は、至って、ふつう。「理解できる」というのは、客観的だからだ。主体的な恋愛は、自分でさえ理解できないと思うのに。やっぱり恋愛小説は、嫌だ。というか、私には合っていない気がする。読むより聞くより、恋愛をしたい気持ちが強いだけかもしれない。あ、でも…没頭できる相手がいないんだよなぁ。でも、いっか。ほかの人から見れば、「オ、オェー…ゲロゲロゲロ、ゲロゲロゲロ…」なのだから。