濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】SOSの猿/伊坂幸太郎 *再読* 2/2

話の続きをしよう。

私の友人がキャバクラにハマっている。キャバクラとは、擬似恋愛を楽しむ場所である。それを、本気にしてしまった「バカなやつ」はどこにでもいるのだとすこし感動している。やはりどう考えても、キャバクラに行くことは負け試合に向かうのと同じだ。キャバ嬢は、基本的に男を「金づる」「良いカモ」と考えている。そう思われないように、褒めたり、笑ってあげたり、話を聞いてあげる。すると男は単純なので、嬉しくなってしまう。なぜか? 「愛されている」気がするからだ。だから、何度も通い、お金を落とし、気づけばお金が無い状態に陥る。キャバ嬢の方が何枚も上手である。もちろん、そのための努力は惜しまない。毎日メールをし、お店に来れば「貴方だけの私」を演じる。そして、行くたびにキレイな姿でいてくれる。

生きていれば、物寂しくなるときもある。そのぽっかり空いた穴をすぐさま埋められるようなこともなく、特別何かに長けた人間であるわけでも無い。日々ちょっとしたことがきっかけで、簡単に躓いてしまうこともある。『SOSの猿』から引用すれば、それらの人々に共通する叫びは、「僕を見て」ということらしい。だから、その叫びを聞いたときは「見放してはいけない」のだと、遠藤二郎は言う。実際に力になれなくても、声をかけてあるのが人間なんだと。そして、その人の未来を祈ることは、何も悪いことでは無いはずだと。そのほか、「うんうん確かに」と思わせるようなセリフが多くある。

『SOSの猿』を読んでいて、人を救う、とは何なのか。と、ふと考える。それは、腹のなかではドスグロい感情が渦巻いていても「すごいね!」と言ってあげることだったり。それとは反対に、一緒に同じように考えてあげるのではなく、自ら人生を楽しむ姿を見せてあげることだったり。キャバクラに通ってしまう理由と、さして変わらないのかもしれない。だから、私は心が痛い。私の友人が気に入っているキャバ嬢は、源氏名の女の人なのであって、本人ではない。最初から負け試合なのだ。「きっと、彼には悪魔が取り憑いているんじゃないか」、そういう物語を妄想し、今夜は安心して眠りにつくことにする。