濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】世界から猫が消えたなら/川村元気

僕が死ぬまでの七日間の話。余命宣告を受けていた主人公が、急遽、明日死ぬことになった。そこに悪魔がひょっこり現れて、何かを捨てる代わりに、寿命を一日増やしてあげると言うのだ。何かを失う度に、気づかされる。人間は、失って初めて気づくことが多い。漏れなく私もだ。教訓めいた言葉たちと、やけにテンションの高い悪魔。死に直面した主人公と取り巻きたち。それぞれ伏線を回収できてもいるし、死に直面した主人公の心境には、自分の「生」をかき乱される思いだった。

ラノベを私はまだ読んだことがないのだけど、それに近いのではないか。だが、かなりの反響ぶりのようで、結構である。私は、あまり支持しない。その理由ははっきりしないのだが、何か「見ている」感覚が常にあったから?すらすら読めるし、理解できるけれど、入り込むことができない気がしていたのか。要所要所で出てくる哲学的な言葉も、どちらかと言えばありきたりで「フック」に欠けていた気がする。解説がベタ褒めだったのにも冷めた。何をそんなに賞賛しているのか。腑に落ちない。

何かを得るためには、何かを捨てなければならないというなら、勝手に捨ててろ。あー、うん、イチャモンを付けたいだけだ。何を捨てれば何を得ると言うのか。金は時間を捨てれば得られるのか。はたまた体力か。結果は、時間と思考と情熱を捨てているのか。はたまた家庭か。仮に同じ物を捨てたとしても、万人が同じ状況を享受できるわけではないだろう。

何を捨てたとしても、得たい物は得られない場合があること。そして、何と引き換えに何を得られるのか、は、人それぞれだということ。何より、それはおおよそ結果論である気がしている。よって、個人的にはあまりピンと来なかった。ただ一つ、猫が消えない世界でよかった。なぜなら、その姿や仕草に癒されるからだ。たとえ小説の世界であっても。