濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】考えない練習/小池龍之介 *再読*

 

洗濯と秋中。私は今、コインランドリーで乾燥待ちである。洗濯物がぐるぐるとドラム式の乾燥機で乾かされ、ふわふわになって仕上がる。これがまた、悪くない。本来であれば、日光に当たって乾いた洗濯物を取り込む方が良いのだが、替えのパンツがなぜか無く、急いで洗濯をし、替えのパンツを貯めなければならなくなってしまったのである。こんなにどうでもいいことに紙面を割くのは、正直居た堪れない。が、これもまた、悪くない、はず。外は日増しに秋が深まってきた様子で、なかなか良い。空気が澄み、いよいよ冬に差し掛かってくる。何をするにも良い季節とされ、私の読書にもより一層の快適さを授けてくれる、はず。街にも少しづつ、厚着の格好が増え、挨拶で「寒くなりましたねぇ」と声を掛け合う。寒さの方が、暑さよりも、より気温の変化に敏感で、そして、その様子が共鳴している気がして好きだ。暑さは、自分が暑がっているだけだが、寒さは、相手を思いやる気がするから、好きなのかもしれない。

選択と集中。この『考えない練習』を読んでいる最中、私のシナプスが、大学の講義にたどり着いた。選択と集中とは、アメリカの経営者、ジャック・ウェルチ氏が行った有名な戦略である。数ある事業の中で、業界No.1、もしくはNo.2である事業しか継続せず、それ以外は撤退する。その代わりに、浮き上がった経営資源をそれらに投入することによって、その業界における地位を絶対的なものにする、といった感じである。『考えない練習』とは、邪念を取り払い、いますべき事柄に没頭すること、と要約している。「兎角この世は住みにくい…」と誰かが言ってたように、確かに、その通りである。だからこそ、自分でそう思い込むことなく、素直に生きていく様にしていったらいいのではないでしょうか、と諭してくれている。もちろん、その方法論も手厚い。あれこれと無駄なことを考えるよりは、よほど有意義に人生を送れる気もしなくもない。でも、どちらかといえば、あれこれ思い悩むその苦しみの中で、小さな楽しみを誤魔化してでも大きくし、何とか生きていくことの方が、私は有意義に思える。それもまた、悪くない、はず。