濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】笑う月/安部公房 1/2

これも、いわゆる積ん読だった。なぜ読み進められないのか、答えは至って単純、興味が湧かないからだ。もしくは、文章が難しい。或いは、文章に付いていけない。恐らく、その辺りで納得頂けるはずである。私は、詰まるのところ、文章に娯楽を求めている。軽やかな語り口と会話のユーモア。結末に至るまでの流れを愉しんでいるのだ。だから、文章の停滞や飛躍、難解さなどは妨げに他ならない。

私は近ごろ、気になっている人がいる。同じ地区で弓道してる女性だ。弓道のイベントで数回見たことがある程度で、話したこともない。どの支部に所属しているのかも判然としてない。一度お話してみたい!とは思っているが、なかなか違う支部の方と話す機会はない。ならば話しかけるか?でも、何て話しかけたら良いのだ?「どっ、ど、どこの支部な、なんですか?」「は?」

このように?興味を持つから、知りたくなるのである。それは著者との共通言語、また共通の前提及び認識が無ければお互いに歩み寄ることすらできない。それを、私は…もとい、著者はある程度図る必要があり、準備すべきである。また読者も著者のバックボーンを想像し、文章を読み取る努力を怠ってはならない。さもなくば、思慮が足りないアブナイ人の仲間入りだ。おめでとう。