濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】行動学入門/三島由紀夫

伊坂幸太郎の『PK』に三島由紀夫が出てきたのをみて、これはやはり読むべきなのではないかと思い、積ん読しておいた『行動学入門』を手に取った。三島由紀夫については、自決した人、という印象しかなかった。以前より、どんな思想を持ち、どういった文章を書くのか、ある意味興味を抱いていた。筆者は、陽明学という思想の持ち主である。それが良いか悪いか、私にはわからないが、社会的には危険思想とされているかのようだった。「己の思考は、思考に止まらせることなく、行動を以ってして完結させる」といったような、極めて厳しいスタンスを取っている。また、「死を恐れるのは、肉体を持ってからであり、反対に、死を恐れないのは生前である。人は、生きているうちに死を恐れないという真理を発見しなければならない。それは人間がその生前の本性に帰ることである」。上述したことは三島由紀夫自身の言葉ではないが、彼はこれに同意を示している。

私は、自決だけは許せない。人が死ぬ、ということは、世界のバランスを崩すことになるからだ(もちろん、生まれてくる命もあるだろうが)。全世界から見たら、ちっぽけな一人だとしても、その人と関わりあっていた人たちの平穏を奪ってしまう。深い悲しみに暮れる人もいるだろう。後悔が残る人もいるだろう。確かに、それでも世界は動いていく。同じように夜が明け、日が沈む。人々が行き交い、生活のかかった経済活動に精を出している。そのなかにあって、死を知らされた人たちは、どこかぽっかり穴が開いたようなもの寂しさを感じる。だから、その死が、自決であるということはやめてほしい。これは、お願いというよりも祈りに近い。と、そう思っている。自決を「美」とするのは、チキンレースの延長でしかないのではないか。生き抜いてこそ、美しい、と思い直してはくれないだろうか。この本を読んで、ますます悲しくなった。