濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】マリアビートル/伊坂幸太郎 *再読*

『バイバイ、ブラックバード』があまりにも感慨深く、他の伊坂の本を読み返そう、と息巻いた結果だ。これほど疾走感に富んだ小説も珍しい。殺し屋の殺し合い、とは、どんな戦いなのだろう。地下で拳銃の打ち合い?繁華街の一角で、ナイフ一刺し?殺すことへの快楽から甚振るのだろうか?

いやいや、問題はそこじゃない。どんな殺し屋なのか、だ。ここにストーリーが左右され、動くほどに絡み合い、すれ違う。様々な思惑と策略から殺し合いへと展開していく。その様が、実に、新幹線に乗車しているかの如く。終点まで迷いなく向かいつつ、かといって暴走するわけがない。描写のスピード感と会話の内容やテンポ、終点に近づいている納得感が高まっていく感覚は、他に類を見ない。

伊坂幸太郎の凄さは、違和感の違和感の無さ、だと思う。強烈なキャラクターが動いていれば、ストーリーは歪みを見せる(うまく話が入ってこない、等々)。よくよく考えてみれば、可笑しいのだけれど、、。これは、川上弘美でも言えるのだけど、川上弘美は、可笑しいのではなく、確実に異質もしくは異様な場合が目立つ。伊坂は、やはり違和感なのだ。(もちろん、一概には言えないが。)どんなキャラクターにもどこかにきちっとした人間味を持っている。そして、必ずしもハッピーエンドではないけれど、バッドエンドではないのも、かなり好感を持っている。

また伊坂の本を再読しよう、今書いたことが確信になるか、新たな着地になるか、それも楽しみだ。まだ読んだことのない本もたくさんある。どうなっていくのか、私にはわからない。楽しませてもうらうぞ?と思ったところで、殺し屋の思考とリンクする気がして、それは無い、とすぐに掻き消した。