濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】小田嶋隆のコラム道/小田嶋隆 *再読*

「面白い」と、括ってしまうのはまるで芸が無いと怒られそうだ。だから、「面白い」という言葉では括れない、としてみるが、それはそれで芸が無い。書く、という仕事は想像以上に曖昧かつ聖域化しているのだと感じる。素直に好きだから、という理由で職業にすることの危うさ?みたいなものを考えさせられる。甘い世界じゃないのはどこも同じで、どこまでの自己実現を望んでいるのか、最低限その辺りを確立しなければならない。著者は、誰が書いても同じ、そんな苦しみのナイフを自身に突き刺し続けてきたように思う。だからこそ、(コラムを書く指南書ではないと明言しているが)恐らく、書き方を枠組みにしたこの原稿を上げてきたのだ。「絶対的な自信とあらゆる経験」を剣にかえて。

二回も読んで月並みな感想しか出てこないことそれ自体が、圧倒されていることを改めて感じさせられている。恐れ入りました、そんな心境である。が、このままでいいものか、刺し違えてでも…そんなことも考えている。が、全く出てこない。

書きたいというモチベーションは保っている。液晶画面に向かってこうしてタイプしているのだから。グダグダとした文章ほどクソなものは無いことを私は知っているはずなのに、頭がフリーズして手が「enter」と「delete」を行ったり来たり。果たして、この先にオチなどあるものか。文中にも「オトす」ことが最重要であることは、はっきりと主張している。全体を包み込んでいなくてもイイ。分かりやすく、あざとく、オトせ。そう言っている。あれ?さらにオチのハードルが高まってないか?ここまで追い込んでいて、オチないなんて詐欺に近い。いやいや、きれいに騙されるならまだしも、これでは白ける。さて、どうしたものか。全体のバランスは考えなくてもいいんだろ?余韻に浸れるワンフレーズでいい。うん。オトしたいモチベーションは高まっている。いい感じだ。ああ、手先までキテる。もう少しな気がする、映像は見えてる。あ、それは確か「小田嶋隆のコラム道」に書いてあった、また読もう。

「面白い」から。