濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】東大卒プロゲーマー 論理は結局、情熱にかなわない/ときど

父が好きそうだな、と思い、購入してみた。「〇〇なのに、××だ」的な、ギャップが父は好きなのだ。よって、私も好きなわけである。余談だが、ギャップが好きということを、トキメキを禁じ得ない、と書くとものすごく変態みたいで笑けてくる。畏まって書いてんじゃねーよ、と文字通り鋭いツッコミを入れたくなる。では、実際に書き換えてみる。「〇〇なのに、××だ」的な事柄に、父は大抵、トキメキを禁じ得ない。私も従って、トキメキを禁じ得ないのである。うわ、キモい。

もはや狂気すら感じ始める。親子揃ってトキメキを禁じ得ないのだから。親は理性を以てして留め、子は親の行為を見習い根絶すべき感情なのでは無いだろうか。仮にこの感情が正であったとしても、この表現がそれに手足を生えさせ、一人歩きしている。そして、野に放ったこの言葉の影響を、筆者は放棄しているとしか考える余地がない。

さて、ときど(著者)は、模倣してみるとこのような文章(主に、もはや〜余地がない、まで)を書く。個人的には好きなスタイルであり、言っている内容も暑苦しくて悪くない。流石は東大卒。と、三流大卒の私が何を言っているのか。まぁ、もとい。

純粋に何かが好きという原動力に、この本を読み、感動した。

好きなことは、

もっと知りたくなる。

上手になりたくなる。

試したくなる。

続けたくなる。

考えたくなる。

話したくなる。

触りたくなる。

生活の一部になる。

ときどが言う「論理は結局、情熱にかなわない」という一文のその真意を知ったとき、好きなことのために生きることの意義を、心から尊重したいと、そう思った。