濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

ドラマ『リーガルハイ 完全版&2nd』と夢の行方

複雑に絡み合ったこの社会は、どうしてこうも生きにくいのか。

リーガルハイ 完全版と2ndを見終えて。

夢や理想とは、どれだけの力が、価値が、癒しが、あるのだろうか。1stシーズンを終えて、新たなキャラクターが登場する。平和的で平等な解決をポリシーとする弁護士たちや秩序のみを至上する裁判官。ドラマの中で各々自身の矜持を発揮する。だが、やはり、古美門弁護士に一度も勝つことができない。この世で圧倒的に必要なのは、力なのだ。と、考えさせられる。実力は、なくてはならないもの、なのだ。夢や理想を追うものとしては。想いを形にするには、それを実現させるために行動する必要がある。だが、それには幾重もの壁や障害が発生する。それらをぶっ潰すには、力が要る。そして、運も味方してくれなければきびしいとすら感じる。

夢や理想はもはや見るだけ無駄。力が無いなら。そんな論調が少し前に盛り上がっていた。「夢のために努力するだけ無駄」「夢なんて見ないほうがいい」。それに対して、「努力は報われる」「夢に向かっていくことは人生を謳歌する上で非常に重要」。などなど。ほんとうに難しい選択だと思う。夢、などという不確実なものに人生を賭けてまで没頭するのか。理想という途方も無い幻想を見るのか。逆に、現実だけを見、下を向いて暮らすのか。努力は報われないから、何に対しても中途半端でいるのか。

いや、その中間は無いのか。というか、中間はどういう状態なのか。

私は、と言うと、夢は持つべきだと思う。夢を見ること無く、持ち、叶うように努めるべき。努力は報われないとは思わないけど、夢は叶うとも思わない。うーん、けど、夢と言っている時点で自分では解っているんじゃないかな、もしかしたら叶わないかもしれない、って。そこも含めて、夢は持つべきだと思う。純粋に、夢を持っている人は魅力的だし。応援したい、と思うし。否定的な感情は湧かない。無責任かもしれないけれど。叶わないかもしれない、と不安になることは、とても直線的な感情であって、個人的にはいいと思う。夢なんか見て、と否定しないでほしい。こんな社会なのだから、夢くらい見たっていいんじゃないかな。その方が、ずっと楽しいと思うな。

古美門弁護士からすれば、ならば価値がない。と言われそうだが。