濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

おれの秋分の日

「休みを満喫することにするよ」と私は言った。母は、「いいな…」と零した。

朝、仕事だったのに寝坊した私は、ほんの少しだけ仕事を手伝い、母の作ったおはぎを食べていた。悪びれる様子も見せず(内心は悪いなと思っていたが)、いけしゃあしゃあと、実家を出たのだった。

先日より、家を借りている。二階と屋根裏部屋の付いた家を。まだ家電もなく、数日泊まったことだけある、いまのところそれだけの家。あるのは、洗濯機と冷蔵庫だけ。ようやく通った電気を利用して、冷蔵庫のコンセントを入れ、お茶とコーヒーを冷やす。ベランダに出て、数日分の洗濯をする。家の裏には木々が生えており、八百万の虫たちが泣き喚いている。すこぶるいい陽気だのに、自然を感じることよりも、それはただうるさいだけだった。

少しでも早く生活に慣れるように雑多なものを買いに出かけよう。トイレットペーパー、洗濯かご、コップ、ゴミ箱、時計、あわよくば机。頭の中で生活雑貨店を割り出し、エンジンをかける。車で約三十分のところにある、まだ行ったことのないショッピングセンターに向けて走る。ナビが頻りに指示をくれる。右です、左です、それはそれは的確に。私は、わかりました、わかりました、声には出さずハンドリングで応えていく。目的地に到着致しました。が、そこに出入り口はなく、ぐるりと半周して駐車する。完璧なことなどないよ、だれにでも間違いはあるさ、そう声をかけ、内心舌打ちをする。

買い物を済ませ、お昼を適当に済ませ、帰宅する。本当に晴れやかな天気だった。洗濯物も乾いているだろうと、ベランダに出ると、パラソル型の物干は華麗に倒れていた。でもこれは慣れっ子なのだ。実家でも同じスタイルの物干を使っており、うちの家の子どもらは、パラソル型の物干で育ったのだ。もう一度立て直し、洗濯物をかけ直す。何度倒れてもまた立ち上がればいいのさ、そう声をかけ、内心舌打ちをする。

さて、何もやることがない。なんて退屈なのだ、と寝た。二時間以上寝た。一時間くらいして、また寝た。おれの休日が終わっていく、満喫していないじゃないか、そう思いを強めたとしても、やることがない。終わっていく休日を前に、何もできない自分の力不足を嘆き悲しみ、布団のなかで丸くなった。夕飯どうしよう、ふと思う。調理器具がまるでない。実家まで車で十分ほど、食べに帰っていいかな、でもどこか負けた気がする。外食するほど美味しいお店も周りにないし。お金ももったいない。だれかご飯に誘えよ、と当てもなく、八つ当たりもできない。休日が、終わっていく。

買った物がまだそのままだったことを思い出し、値札を切り、あるべき場所へ置いて、よし、と思う。まだまだ休日は終わってないぞ、と息を吹き返す。夕飯は、実家に帰ろう。そう決めて窓を締め、身の回りを整理した。ベランダ用に買ったサンダルと洗濯かごを持って、洗濯物を取り込みにベランダへ出る。夜になって気温も下がり、心地よい風が吹いている。虫たちの鳴き声も今では自然の一部なのだ、そんな境地だった。ベランダから広がる穏やかな夜景の下、パラソル型の物干は、また倒れていた。