濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

友人の結婚式とドラマ『最高の離婚』

高校生のときの友人が、先日結婚をした。正確に言えば、結婚式を挙げた。結婚とは、どんなものなんだろうか。とても幸せそうに見えたんだが。いいことばっかりじゃないとか、ほら、言うのだが、そう言っている姿が幸せに見えるような気がするのだ。逆に言えば、結婚だけが幸せじゃないと言っているやつが、どうみても幸せに見えない。結局何が言いたいのだろうか、わからなくなってきた。それよりも恋がしたいな。デートしたい。海行きたい。焼き肉行きたい。島に行きたい。モーニングを食べたい。行ったことないところ一緒に行きたい。でも恋は、落ちるものらしい。ならば、落ちたい。気づかずに落ちて、落ちていきたい。

ドラマ『最高の離婚』の瑛太みたいだね、家族からそう言われた。そう言われて、しばらくして先日また言われた。だから、見てみようと決意した。ゲオに行ってパッケージを見ると、なるほど、似ている。クセ毛とメガネの辺りが。つまり、顔のパーツはだいたい似ていない。はぁ、と思いながら、早速見てみると、なるほど、似ている。残念ながら?行動に共感する。きっと家族から見たら重なるに違いない。全く面白くなければ、ほんとは優しくもない。他人の気持ちなど察しない。感情に揺れ動くのに、見栄はって理屈で動き、それでは面白くないから屁理屈を理路整然と喋り始める。それいで、結局中途半端でいる。突き抜けていそうなオーラもなければ、危険な香りもしない。そういう、その程度の男に、とても似ている。

だからこそ、恋に落ちてみたいのだ。何かが変わるんじゃないか、他力本願も甚だしいが、きっと本心はそうなのだ。

最高の離婚』を第四話まで見た。上原夫妻の婚姻届がまだ未提出だったことに、濱崎夫妻(瑛太夫妻)と上原婦人が気づいてしまったところで次回へと話は続く。濱崎夫妻は離婚したが、お互いをまだ想っているような、でも後戻りはできないような。

二階ベランダで煙草をふかしながら、『最高の離婚』を思い出す。「私にとって、私の人生のかけがえのない物も、他人にとっては便座カバーくらいどうでもいいものかも知れない」(※意訳)『最高の離婚』を見て、俄然、恋したいなと思うぼくは果たして。

煙草を吸い煙を吐く先に、向かいの歩道を若いカップルが楽しそうに歩いているのが、見えた。