濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】ぼくには数字が風景に見える/ダニエル・タメット

共感覚、という言葉は惹かれる。数字に色が付いている、数字によって形が異なる。そう聞くと、わくわくする。自分の見える世界と、ほかの人の見える世界が違っている。そういうことになる。でも、少し分かるのは、たしかに素数はステキだ。私は、17がすき。色まではわからないけれど。

自分のできることを、愚直にやる。自分にしかできないことを、果敢にやる。他人と違っていることへの劣等感を拡大解釈しなくてよい。そういった、自分との向き合い方に思いを向けてみてほしい、そんなメッセージが込められている。内容としては、大して面白味がない。感覚はズバ抜けているのに、文章が真面目すぎる。本当に覚えているのかよ、とツッコミを入れたくなるほど、細かい。細かすぎる。小説よりも細かい。細かいのに、主人公に引きがない。読んでいてもたれる。期待していたのは、もう少し痛快なストーリーだったはずだから。タイトルからして、そして、どうせ他人は知り得ないのだから、抽象的で空想的でロマンチックでもよかったのかもしれない。と全体を通して思う。

ただ、置かれた環境に対して開拓していく姿は、実は実際は、こんなにも地道で平凡なものなのかもしれない。そう、一方で思う。何かを成し得ることは、例え、障害の副産物を持ってしても容易いことではない。いや、そもそも地道で平凡と思えることが、本人にとっては大きな冒険そのものなのかもしれない。きっとそうなのだと思う。熱しやすく冷めやすい私は尊敬するほかない。淡々と自分をストレッチしていく姿勢は、誠に尊いものであり、辛抱がなければすぐに折れてしまうものだから。

例えば、諦めない、と口にすることは容易いが、諦めないを実行することは、思っていてもできない場合が物凄く多い。何かを続けることも同様だろう。自分と向き合う、裏を返せば、自分を見失わない。生きていく上で最も大切なことの一つを、彼は自分の境遇を介して伝えているのかもしれない。