濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】死神の精度/伊坂幸太郎 × 十二月十二日

いよいよ冬になり、澄み渡る青空が広がっている。

私は午前中で仕事を切り上げ、東京に向かう予定に浮き足立っていた。だが、できる限りをやって切り上げようともしていた。仕事だからだ。仕事はやらねばならない、作業の一面も含まれている。私は、そう考えている。

「おい、十時半にナガイさんが来るから…お前、まだ会ったこと無いだろ」社長が近寄って言い、同席を求めた。

「ええ、わかりました」十時半まで、あと一時間。私は作業の算段をつけ、没頭する。

ナガイ社長が見えたのは、十一時を回っていた。素早く作業を中断し、二階にある事務所へと向かう。ドアを開けると、ナガイ社長が立ち上がり、私へ一瞥をくれた。良いご子息をお持ちで、と母へ世辞を使う。いえいえ、と、母は満更でもない様子を演じた。

「はじめまして」

名刺交換をし、互いに着席する。私の経歴など、他愛のない話をしながら、社長も相席した所で取引について意見を交合わせる。見た目は、恐らく五十代から六十代、髪の生え際は後退しているが白髪を撫でたようにセットしている。恰幅も悪くなく、清潔な印象を受ける。少し分が悪い話を振られると、たじろぎ、改めて現状のみを話し出すのが玉にキズだった。現状もそれほど詳細には分からず、かといって、今後についても曖昧すぎた。私は、その様子から以前の勤め先にいた二度目の上司を思い出していた。彼も、こんな笑い方だったな、と。

 

来客もあり、思いのほか仕事が長引いてしまったが、高速バスまでの時間には余裕があった。準備を怠らないよう、確認をしながら荷造りをする。移動中、どの本を読もうか、と思いついたのは伊坂幸太郎の『バイバイ、ブラックバード』。本の詰まった段ボールを物置から取り出し、思い当たるカバーを捲ると、それは伊坂幸太郎の『死神の精度』だった。なかなか読み進めることができなかったため、この際、読破しようとバッグに入れた。

 

風は強いが、相変わらず雲一つない快晴だった。

定刻通りに高速バスに乗り、私は『死神の精度』のページを捲る。

死神は人間の姿になり、対象者の死の一週間前に接触を試みる。そして、その人物が死ぬに問題無ければ、「可」の報告を本部へ通達し、死が確定する。死神が対象の人物に接触し、八日目でその対象者は死ぬ、そういう設定である。死神は、毎回対象者に接触しやすい容姿に変えられ、人間界に降り立つ。ただ、毎度「千葉」を名乗り、名前だけは変わらないらしい。千葉だけでなく、死神はミュージックが好きで、人間界を好むことは無いがミュージックは好き。伊坂らしい布石が、各対象者の死とその進行に緩急を付けている。五人の対象者との接触のなかで、死神という設定の細かさや、人間が死ぬことへの機微もそつなく描かれている。短編であるが、一冊を読み進めていくうち、各話のつながりも垣間見え楽しませてくれた。

 

私は、東京に着き、前職の先輩方と飲む約束になっていた。一番先に現れたのは、森川課長だった。

「とりあえず、入ろうか」微笑み方は変わっていないんだな、と懐かしむ。

「はい」私は森川課長の後に続く。

居酒屋に入ると、程なくして堀池先輩が来た。私を見た瞬間に笑い始めた。なんですか、おかしくないですか、と久しぶりのやり取りをする。

「で、どうですか、順調ですか」私は、恐らくそんなには順調に行っていないのだろうと半分かまをかけた。

「まぁ、一課も年間達成したしな。俺は…島崎にも感謝しているよ。ほんと二人のおかげだ」やっぱり変わらないな、と内心つぶやく。

「いやいや」堀池先輩と口を合わせて頭を下げた。

「辻元もお前の後を頑張ってるし。これ、こないだのイベントの時の、辻元」

森川課長の携帯には、イベント時の辻元の様子が収められていた。ちょっと撮らないでください、と手をこちらへ出しながら照れている辻元がいた。

「あいつらしいですね」私は、すこし安堵した。「相変わらずですね。そうですか、では人事も今は落ち着いて、辞めた人も中途の人くらいなんでしたっけ」

「うーん、まあ、そうだね」と思い当たる節の無いように堀池先輩も同意する。

「お前が辞めてから、一番変わったのは田辺さんだな」強いて言うなら、あるいは、少し気の抜けたように森川課長が言った。

「え、どうしたんですか」と私は待ってましたと言わんばかりに少し笑ってしまった。田辺さんは、かつて二度目の上司であったが、管理不届きで降格したのだった。

「死んだ」

「え…死んだ?」

「ああ」

「いや、嘘ですよね。ほんとですか」信じられなかった。

「うん」堀池先輩もうなずく。

「本気で言ってるんですか」私は二人を交互に見やる。

「まあ、そうなるわな」森川課長は煙草を吸い、煙の行方を見守りつつ言った。

私のかまかけは、空を切って不謹慎に着地する寸前だった。

「なんで、ですか」

「事故。それ以上は聞かされてない。俺たちも朝礼でさらっと言われて、そこまでだ」

ここまで二人が言うのだから、そうなのだろう。飲み会の席ということもあり、それ以上は話をやめた。そのうち辻元も合流し、飲み会は順調に盛り上がっていった。

 

帰りの電車を待つホームで、私は少し怖くなった。今日の出来事の重なりに、だ。朝、二度目の上司である田辺さんを彷彿とさせる取引先社長に会い、選ぶはずでなかった『死神の精度』を読みながら東京へ来た。そこで聞かされたのは、田辺さんの死だった。田辺さんとの会話が頭の中で流れる。なぜ、どうして。悲しみよりも、この世の不可思議さといつ我が身に起きても可笑しくない絶対的な死を畏れた。ここまでくると、彼の前にも死神が現れたのかも知れない。そう思ってしまうくらい信じ難く、考えるほどに気持ちの悪い一日だった。