濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

わるいか

お天道様は見ているからね。そう言われたのは、たしか、小学校に入るか入る前かそれくらいだったと思う。ズルやウソはしちゃだめだよ。反省したはずなのに、どうしてこんな人間になってしまったのか。そんなのたくさんしてきた。ズルをしなければ、ウソをつかなければ、“何か”を守れない気がしたからだ。その“何か”なんて大したことないのだ。もう覚えていないのだから。だけど、そのとき、その一瞬は、輝いてみたかったり、貫き通さないといけないと思い込んでいたりだったんだと思う。後々ツケを払わなくちゃいけなくなったとしても。そうやって、いいこともわるいこともたくさんして、バランスをとっていかなくちゃ、生きていかれないのだ。

最近Facebookが煩わしい。やめようか。悩む。「いいね」がもらえないからではない。出し損な気がするからだ。嘲笑されるだけな気もする。でも、伊坂幸太郎の3625に書いてあることに胸を打たれた。

「面白いと思えることが重要なのだ」。

そうそう、そう思う。少しフィクションっぽく仕上がるかもしれないけど、逆(読み手)の立場だったらアリだと思う。発想勝負は、スリリングだから好きだ。ある企業のコピーを思い出す。

“挑戦しないパフォーマーは、誰の心も動かさない”

誰も投稿なんて気にも留めないかもしれないけれど、そのなかで“誰かに届く”と思考する。面白い文章だねとか、言われたい。老若男女関わらず。多少ズルもあるかもしれない。ウソっぽくなってしまうかもしれない。でもそうまでするには、老若男女関わらずチヤホヤされたいのだ。突き詰めて言えば、モテたいのだ。それだけだ。みんなにモテたい、ただ一心だ。誰がなんと言おうとモテたいのだ。