濃いお茶がこわい

ブログ名は、落語「饅頭こわい」のさげ。よく出来た話である。

【読書log】はじめからその話をすればよかった/宮下奈都

嵐の夜。私は、嵐が過ぎ去っていくのをただ待っている。どこまでも続く、インターネットの中で、居心地の良い場所を探している。とにかく何かをアテにしたくて、さして興味のない動画を流して、これからいくらかしたら眠りにつくはずだ。こんな日々が、たしかに幸せだったんだ、と思えるのだろうか。何もない日々。トキメキや閃きの少ない日常が、嵐と共に過ぎ去って行ってくれればいいのに。

宮下奈都という作家を知って、かなり動揺している。こんなに文章のうまい人間がいるのかと、大げさに言えば驚愕した。「やばい…すげぇ」と何度思ったことか。文章の広げ方と収束していったその着地までが、よどみないのである。もちろん物事に相対した際の観点も面白みがある。こんなエッセイや短編小説を、私も書いてみたい。私は、宮下奈都に純粋な憧れを抱いた。

焦る。充足感のない日々を繰り返してはいけない。心の片隅には、確かにシグナルが発信されているのに、気づかないフリをしている。その、気づかないフリをしている私が言う。「別に他の誰かに、この暮らしを非難されたわけでもないでしょ」。その指摘は正しい。だが、だからこそ、心の奥底に蟠りがあるのだ。「で、結局お前は、何を成し遂げたのだ」と。

今の私は、なんというか、色々なものを広げ過ぎてしまったように思う。私は、もちろん本を読むことは好きだし、弓道もやっている。新たなバイトも始めて、今ではトリプルワークだったり。キャバクラに遊びに行くこともあるし、釣りもやりたい。カメラでたくさん写真を撮るのも好きで、それをSNSに投稿したりする。美味しいものも食べたいし、ちょっとした贅沢もしたい。そんな中、彼女も欲しい…。

何かを捨てる決断をしなければならないような気がしている。そして、得るものを定めるとしたら、まだ知らない体験を選択するべきだと。でも、こんなことばかり考えるから、何も得られない気もしてきて…。何か一つ、深く深く潜りたい。その「何か一つ」とは、何か。少し自分を省みるような時間を作ろう。

嵐の過ぎ去った後で、ゆっくりと。